いわゆるよい人のことです。
道徳などで教える昔話にはよいおじいさんと悪いおじいさんが出てきて、よいおじいさんは心が広く優しくて、悪いおじいさんは心が狭くて意地悪です。
物語の最後は必ずと入ってよいほどよいおじいさんは幸せに、悪いおじいさんは不幸になります。
ある意味、よい人を目指しなさい、悪い人になってしまうと決して幸せにはならないのですから。
こんなメッセージを物語の中には感じます。
ですが、この善を目指すことは悪を排除するという一側面があります。
「悪がない方がいいのではないか?」
と思うかもしれません。
悪を悪と感じるのは善と悪という二元性の中での分離の発想です。
善と悪という思考モードで悪をなくすことは結局、ある限定されたなかでの善作り上げていることになるのではないかと思います。
つまり悪をなくそうとして善人を目指してもそれは善人という仮面をかぶっているだけです。悪はなくなったのではなく見ないようにしているだけです。
では善悪に対してどのよな視点で望めばいいのかということですが、それは
「価値判断なく善悪すべてを受け入れる」
という視点です。
人は経験するためにこの世界に来ています。すべてを経験することが目的なのですから。
アバターやキリスト、マザー・テレサなどはこのような視点からこの世界を見ています。
これは難しいことではなく、単に「自分らしくあること」です。
心から喜べるものに向かって進んでいけばいいだけです。