『ライトボディの目覚め』[改訂版]⑮
3月 18th, 2007 by Atom
さてこの『ライトボディの目覚め』[改訂版]シリーズ長くなっていますが、大切なことが書いてあるのでもうしばらく続けます。私もあらためて読むことでより深い知識を得たいと思います。
「最近まで「アルファ・チャクラ」と「オメガ・チャクラ」は人間の体には顕著なものではありませんでした。この二つのチャクラはエネルギーの中心であるにもかかわらず他のチャクラとは異なるタイプの青写真と機能を持っています。それらは七次元のエーテル性青写真をつなぎとめる錨(いかり)として機能すると共に電波、磁気波、重力波を微調整するエネルギー調節装置でもあります。アルファ・チャクラは頭上15~20cm、頭の中心から5cmほど額に寄ったところにあります。これはあなたをあなた自身の永遠に不滅な五次元の「光」の体に結びつけます。そしてオメガ・チャクラはあなたの背骨の末端から約20cm下方にあり、あなたの転生フォログラフィック・グリッド全体とだけでなく惑星ともホログラムとして結びつけてくれます。四次元的なカルマのマトリックスと違ってこれらにはまったくカルマ的な関連性はありません。第八チャクラは頭の中心から真上に17~22cmのところにあり、アルファ・チャクラの上方に位置しています。あなたの第八チャクラから肉体の中心にそってチャクラを通過しながら足の下20cmほどまで直径約10cmくらいの光の柱が下りてきています。この柱の中心には全長に渡って直径約4.4cmほどの光のチュープが通っています。アルファ・チャクラとオメガ・チャクラが開かれて正しく機能している時、あなたはメタトロンの波動と呼ばれるものが内なる光の柱にそって移動するのを体験するでしょう。磁気波、電波、重力波が波動の振幅と振動数を調整するアルファ・チャクラとオメガ・チャクラの間を行ったり来たりするのです。これらの波動は細い方の光のチューブ内のプラナの生命エネルギーを刺激し支えます。メタトロンの波動はまた、あらかじめ存在するあなたの不滅の「光」の体のテンプレートと肉体の変位を調和させる上でも一役買っています。」
このアルファ・チャクラとオメガ・チャクラですが、この本を読むまで全く知りませんでした。チャクラといえば七つだと思っていたからです。これらのチャクラは大いなる全てとのつながるための役割と共にフォログラフィック(たぶん私達が見ているこの映像のこと)システムとの結びつきや惑星(意識のある生命です)とを結びつけているもののようです。
「体内のチャクラが球状構造へと開かれるにしたがい、チャクラを皮膚上のスピン・ポイントに直結させるグリッドが作られそれ以降チャクラは新しいアクシオトーナル・ラインおよびアクシアル循環システムとつながるようになります。チャクラのグリッドをアクシオトーナル・ラインに結びつけることによってチャクラは高次に進化した宇宙的な共鳴のグリッドや波動の動きに接続されるのです。これはチャクラと感情体、精神体、スピリット体をひとつのエネルギーフィールドとして融合させるように促します。するとこの一体化したエネルギーフィールドがオーバーソウルの体を受け入れはじめ宇宙的な波動やパルスとシンクロして連動するようになります。そしてまったく新しいシステムがこれらの波動やパルスをスピン・ポイントからアクシアル循環システムへと送り出し肉体中のパルスや体液の流れを適応させていきます。」
これはチャクラとアクシオトーナル・ラインとアクシアル循環システムの関係を説明したものです。チャクラの活性化が高次のエネルギーとつながるキーポイントとなります。
「さてカルマ・ゲームにおいてはあなたはスピリットから切り離された状態にあり制限の中で生きているので自分の肉体からも疎外されておりそれは通常あなたが自分の体の中にいないことを意味します。もしあなたが自分の体の中にいなければハート・チャクラを活性化させることはできません。ハート・チャクラが活性化されていないとベース・チャクラ、下腹チャクラ、そして太陽神経叢(たいようしんけいそう)チャクラが主導権を握ることになります。転生のすべては本能的な恐怖、カルマのパターン、権力、渇望、貪欲、エゴに基づいた力の相互作用による人間関係などから発生したものです。あなたが完全に体内に存在しない限り高次の相互作用は起こりません。そしてもちろん、体の外にある上方のチャクラもまったく活性化されないことになります。」
一般に自分は体の中にいると思っているのに目から鱗です。そもそも私達は体にいないためハート・チャクラが活性化されていない(これは愛に目覚めていないってことでしょうかね)ため自我を満足させることに夢中になっていたり、恐怖や人間関係などに縛られていてそれが転生を続けている理由のようです。まあ、私としてはそれも大きな意味で学びの一部とも考えています。